マノン・レスコー、G.プッチーニ

どんなに才能があり、どんなに自信を持っていても、大物アーティストというものは全て、大したことのない芸術家だと思われている時期があるものです - ある特別な日が来るまでは。ジャコモ・プッチーニにとって、その特別な日は1893年2月1日、彼がトリノのレージョ劇場でオペラ「マノン・レスコー」を初演した日でした。「妖精ヴィッリ」と「エドガール」の2作品の不成功の後で、プッチーニは落ち込んでいました。ところが、1889年、ワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が上演され、その古典的なオペラ的形式、アリア、現実世界を表すセッティング、そして感じのいい、可愛らしい登場人物などを自分のオペラに取り入れていく確信を持ちました。皮肉なことに、最もワグナーらしくないオペラによって、プッチーニは自分のオペラの美しさを見つけることになったのでした。
次の作品のために、プッチーニは、アントワ-ヌ・フランソワ・プレヴォーによる人気小説 『「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」』を題材にすることにしました。叙情性、感受性が強く、悲劇を具現化したようなこの小説の女性主人公に惹かれたためです。「マノン・レスコー」は、プッチーニが台本作家のルイジ・イッリカ、ジュゼッペ・ジャコーザと初めて組んで仕事をしたという点で重要な作品です。ただし、この作品には、2人の台本作家の他にも協力者がいました。音楽的にも叙情的にも、このオペラは完成度の高い作曲家プッチーニの誕生を象徴しています。今回、トーレ・デル・ラーゴのプッチーニ・フェスティバルで、このプッチーニの出世作をお楽しみください。
ヒロイン、マノン・レスコーはとても美しい若い女性で、貴族デ・グリューと駆け落ちします。けれども、デ・グリューとの幸せは長くは続かず、マノンは裕福な財務官ジェロント・ド・ラヴォワールの求愛に屈してしまいます。ところが、マノンは今度は年配のジェロントにうんざりし、再びデ・グリューに会いたいと思うようになります。マノンの節操のなさに呆れたジェロントは、彼女をルイジアナの刑務所に送らせました。 デ・グリューはマノンをアメリカまで追いかけていき、植民地総督の息子と決闘して、彼女の脱走の手助けをします。ニ人の逃亡中、マノンは病に倒れ、デ・グリューの腕の中で、真の愛に包まれて死んでいきます。
この「マノン・レスコー」でプッチーニは、愛の勝利のストーリーを描いただけではなく、完成度の高い音楽を作曲しました。彼のオーケストレーションはステージ上の動きと密接に絡み合っており、ドラマチックなシーンと遊び心のあるシーンが交互に繰り返されます。声楽もまた魅力的です。 「見たこともない美人 Donna non vidi Mai」、 「この柔らかなレースの中で Quelle trine morbide」など、プッチーニの初期の美しいアリアや、「美しいお嬢さん、お許しいただけましたら Cortese damigella」、 「あなたなの?愛しい人 Tu、tu、amore?Tu」など息をのむような愛のデュエットを、ジャコモ・プッチーニ大劇場でお楽しみください。